いつもの陰鬱とした表情とは打って変わり、思いつめたように眉を寄せて
廊下を音も無く歩くアラシヤマに団員は無言で道を開けた。
また総帥室へ呼び出されたのか、とそれとなく手元を見ても書類の類は一切
持っていない。時折立ち止まっては、明日この世が終わるとでも言うかのように
重いため息を吐き出した。数人が声をかけてみようと意気込んだが、すぐに
諦めて去って行った。
「…アラシヤマさん、医務室に行くなんて何があったんだ…?」
興味をそそられても、誰も問いかけることなど出来なかった。

























悪魔との契約





























「おや珍しい、自分の意思で来たんですか?」
「へぇ…そないに強制的に人員確保しとるんでっか?」
「医学の進歩には仕方の無い犠牲です」
「さよで…」
どうぞ、と促されて高松の正面に据えられている丸椅子に腰を下ろした。
アラシヤマが何の目的で来たか聞かないうちに、高松は液体が少量ずつ入っている
注射器を数本取り出してトレイに乗せ、膝の上に置いた。
「で、何がしたいんです?」
にこりと笑う高松の目に淀んだ光が灯る。むせ返るような消毒液の匂いの中でなんとか
意識を保ちながら、アラシヤマは引き攣った笑みを返した。
高松が交換条件として薬物実験を持ち出すのはいつもの事で、それに何の疑問も
持たない自分はどうかしているのではと思う。そもそも人と話すことなど何日ぶりの
ことだろうか。一方的な心友のシンタローとキンタローは遠征中、グンマは研究室に缶詰。
向こうから話しかけてくる可能性がある知り合いは図ったように外部との交流を
絶っている。
口の中がカラカラに乾いて声を出すのが億劫になってきた。視線をはずすために
下に向けた頭は上から押されているかのようにどんどん下がっていく。
綺麗に磨かれた黒い革靴に移った自分と見つめあいながら黙りこくっていると、
ぐい、と左腕を引っ張られて慌てて顔を上げた。
「悩んでるんなら先に注射しましょうか」
「い、いやぁああ!」
手際よく制服が肘のあたりまで捲くられ、消毒液を染みこませた脱脂綿が肌を
スッと擦る。冷たさのせいでは無い悪寒が全身を駆け巡り、気持ち悪いほどはっきり
と鳥肌が立った。一瞬呆気に取られたせいで逃げる機会を失ってしまった。高松の
空いた片手はすでに注射器を掲げているので、下手に暴れたら妙な所に針が刺さって
しまう。
観念してアラシヤマが力を抜くと、高松はくすりと笑って注射器を元の位置に
戻し、腕も離した。
「あ…」
「ジョークですよ、ジョーク。嫌ですねぇ、本気で嫌がるなんて。
 心に余裕が無いんじゃありません?」
その時心に生まれた感情の名前は憎悪で正しかったはずだ。あっけらかんとした様子で
トレイを机の上に置く高松を一発殴りたい衝動にかられるのは当然の事のように思う。
実際に行動に移した際の結末は解り切っているので、アラシヤマは無理やり口角を
吊り上げて気にしていない風を装わないとならなかった。
「すんまへんなぁ、最近忙しいよって」
「良いからとっとと要件言いなさい。私だって暇じゃ無いんだから」
言いながら高松は立ち上がり、ポットから紅茶を注いで飲み始めた。アラシヤマの分は
薬の混入を疑われるのが解っているため用意されなかった。消毒液と紅茶の香りが混ざり
更に居心地の悪くなった空間で、アラシヤマは言いよどんだ。
「あの…子供に戻れる薬とかあらへん?」
蚊の鳴くような弱弱しい声で発せられたのは、彼らしくない幼稚な発言だった。
紅茶が揺れて零れ出すのをなんとか阻止しながらカップを机に置いて、また
シンタロー関係かと高松は隠しもせずにため息を吐いた。
普段その有能さを存在する言葉の全てを使ってこっそり賞賛されてきた彼は、
シンタローの事に関しては思わず目を背けたくなるほど無能だ。
「何となく想像つきますけど、子供に戻っても彼の寵愛を受けるとは…」
「ややわぁ寵愛だなんて!」
「早速暴走しないでください。追い出しますよ」
頬を染めて悶え出したアラシヤマに釘を刺してから、高松は立ち上がった。
怪しげな薬が並んだ棚の扉を開け、その奥から少し古びたビンを取り出す。薄い水色の
錠剤が中で乾いた音を立てて転がった。光にかざして異変が無いか確かめながら横目で
ちらりとアラシヤマを見ると、興奮のあまり今にも昇天しそうな様子が見て取れる。
椅子に戻って薬のビンをことりと置くと、暗示が解けたかのようにアラシヤマがハッと
こちらを見た。
「そ、それ…」
「これはマジック様から頼まれて作ったんですがね、いつまで経っても取りに来ないので」
「あのお人なら考えそうな事どすな…!」
「まぁバレた時息子から嫌われるのが怖かったんでしょうが」
「高松はん…」
「そんなねっとりした目で私を見つめなくともあげますよ、どうぞ」
ひょい、と彼の手に落ちるようにビンを放り投げる。アラシヤマはわたわたとそれを
受け止め、愛おしそうに抱きしめた。恍惚とした予想通り表情をして何事かぶつぶつ
と呟いている。きっとシンタローとのまともな会話を今から夢見ているんだろう。
「あ、そうそうちゃんと代価は払ってもらいますよ」
アラシヤマの意識が混濁しないうちに、と彼の肩を揺さぶりながら確認すると
どうにでもしてくれという返事が返ってきた。常備してある薬物実験の検体誓約書を
取り出して夢うつつの彼にしっかり署名を書かせ、指に朱肉を押し付けて拇印も
押させた。
万が一にでも盗難に合わないよう、きちんと専用ファイルに収め金庫へと放り込む。
そもそも医務室には人が来ないためいらぬ心配だったが。
スキップをしながら医務室を後にするアラシヤマを見て、高松はこっそり笑った。











「あ、シンちゃんキンちゃんおかえりー!」
飛びついてくるグンマをシンタローがかわし、キンタローが受け止める。
次に来る衝撃に備えてシンタローが身構えるが、肝心のアラシヤマが居なくては
それも滑稽に見えた。
何処かに隠れて「見つけたぞこいつぅ」とか言って欲しいんだろうか。
人がおよそ隠れられそうも無い所にまで目を光らせながら彼を探すが、それらしい
人影どころか気配さえ感じ取れなかった。
「アラシヤマが居ないな」
シンタローが言わないだろう事をキンタローが代わりに口にすると、シンタローが
小さく舌打ちをした。研究室に篭っていたグンマがアラシヤマの行方も知るはずも
無く、首をかしげていると本部へと続く廊下からげっそりした様子のティラミスが
現れた。
「あ、ねぇアラシヤマ知らない?」
グンマ無邪気に尋ねると、ティラミスの体がびくりと強張り、次いで滝のような
脂汗が流れ出した。ちらりとシンタローを仰ぎ見てから、恐れおののくように目を
素早く逸らす。
「?何かあったの?」
ぶるぶると震えだしたティラミスの顔を覗き込むように言うと、切れ切れな声が
聞こえてくる。必死に状況説明をしようとしているらしいが、焦っているせいか
要領を得ない。その間にも、シンタローを見ては目を逸らすという行動を繰り返したため、
ティラミスが平静を取り戻す前にシンタローが平静を失った。
「良いから要点だけ言えッそれ以外は声に出すな!」
胸倉を掴む勢いで怒鳴ると、ティラミスは一つ深呼吸をして話し始めた。
「アラシヤマさんが、突然幼児語を話し始めたので隔離しました」
「………………………………は?」
「と言うか精神的に退行しているようです」
話しているうちに落ち着いてきたのか、ティラミスの口調は淡々としたものだった。
キンタローが余計な想像力を働かせてえづいている。グンマが慌てて背中をさすり、
シンタローが何やってんだと呆れた声を出した。
聞き耳を立てていた整備員や遠征の供をした一般団員たちは総じて死んだような目を
して黙々と作業を続けていた。
「原因は?」
「ドクターでしょうね」
「あの野郎…更に鬱陶しくしやがって…」
「はい、非常に気持ち悪いです。しかし問題はそこでありません」
「あ?」
「今回の件はアラシヤマさんの意志に基づいて行った実験の結果です。
 誓約書も署名・拇印入りで確認しました」
「あの野郎…」






結局薬の効果が切れたのはそれから1週間ほど経ったころで、職場に復帰した
アラシヤマにはこのまま生命を絶って良いと思えるほどの仕事が山積みに
されていた。




おまけ




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最初は幼児語を話すアラシヤマに萌え萌えするシンタローを書こうかと
思ったんですが、なんとなく悲しくなったのでアラシヤマ不憫オチです。


思えば小説の更新、最後にしたのは一体何時のことか。
キリリク抜かすと恐ろしい数字が浮かんできたので必死に目を背ける事にします。
タイトルが安易すぎるのは一緒に目を背けてください。

2005.03.26up
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